「目の前で事件や事故が起きている」とき、自分が多忙であったり、関わりを持ちたくなかったり、自分が行動しても何もできないなどの理由から傍観する人は多々いると思います。
いじめなどを見て見ぬふりするのもその1つでしょう。
こうした行動は私も含め最も自然な行動の1つではないかと思います。

・ 喧嘩を止めに入った人が殺されたり
・逃走する犯人を捕まえよとして殺されたり
・いじめを止めて自分がいじめられたり
・リスクの高い仕事に無謀に引受け火の車になったり

こうした苦い状況を知ると、皆見てみないふりの方が特だと考えてしまうのかもしれません。
自分はあんなふうになりたくないと・・・・

私の経験で、トラブルが発生したプロジェクトのメンバーの飲み会などで、「あの時自分は無理だと思ったんだよ」と語る人に何度かあったことがあります。
これもここでいう「傍観者」の例です。
傍観しない人は「当事者」、「関係者」、「おせっかいな人」ということになります。

しかし、「傍観者」と「当事者」、「関係者」、「おせっかいな人」という人が別々に居るわけでないと考えます。実は「傍観者」は私も含め、人の心の中には必ず住んでいます。
人の中には、仕事への関わり方として、次の3つの人が住んでいるのではないでしょうか。

・当事者:自分の役割としての仕事をこなす自分
・傍観者:当事者以外での関わりを眺める自分
・関係者:当事者以外での関わりを持とうとするおせっかいな自分

私も含め多くの人は、大半は当事者が締めます。
また、傍観者としての自分も必ず一定割合存在し、当事者以外のものに対しては意識しない限り皆傍観者となります。これは自然な行動だと思います。
傍観者の自分から、関係者の自分になるためには、意思が必要です。

改善活動には「関係者」として関わろう、更にはもっと進んで「当事者」になろうという意思が必要です。
読者の皆さんの中には「関係者にはなりたくないという意思の方」もいらっしゃるかもしれませんが、「可能であれば関係者になってもいい人」もいらっしゃるかと思います。

そこで私自身も含め、改善活動において「関係者」になるための策を考えてみました。

実は改善通信を送るようになって、感想を頂いた人が3人いらっしゃいました。これも「関係者」になる1つの参加方法に思いました。関心を持ってもらえたというだけで勇気づけられます。何も反応がないとこんなことやめようかと頭を過ぎることはあります。でも、私は皆さんへの挑戦でこれを始めたわけではありません。傍観者としての自分への挑戦なのです。目標Vol.100という目標です。

関係の持ち方に決まった形はないと思います。私はこう思います。

1.相手のことが気になったらもうあなたは傍観者ではありません

2.気になった相手に一声かける(気になったよ。よかったよ・・・)

3.次に、こうしたらもっといいと思う・・・

4.自分の身近で何か変えてみる

5.私にも何か手伝わせてと参加する

どんな形でも結構です。この改善活動でなくて結構です。
脱傍観者にトライしてみてください。
トライしようとする自分を止めるのは「今は仕事が忙しいから暇になったら・・」と考える自分です。こうした自分が傍観者を作ってしまいます。

もし、皆さんの仕事が全くムダのない仕事(お客様からお金のもらえない仕事やお金のもらえない時間のこと)は、全体で3分の2、いえ、もっとあるかもしれません。
こんなにムダがあったら会社が潰れるって?

そうではありません、工数精算で仕事をしているから潰れません。でも、付加価値精算で仕事をするようになればたちまち倒産します。
時間は工夫して作るものです。
ゆとりという時間ではない、非付加価値労働を減らすのが、まさに働き方改革なのだと思います。

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