ある会社で社員教育において、「工場版マネージメントゲーム」の生産管理体験道場なる研修を実施しました。
4~5名を1つの工場に見立てます。
この工場で生産するものは「紙の腕時計」です。

ここで学んでもらいたいと思っているのは、製造業を疑似体験し生産管理業務の網羅的な体系と疑似実務から生産管理業務に対する自分のメジャー知識を格納する引き出しを(予め)用意してもらうことです。

また、この研修の中で知ってほしいテーマがあります。それは仕事における価値とムダです。

皆さんは、会社に来ることが仕事だと思っていませんか。確かに会社に来れば対価(給与)をいただくわけですから、間違いなく仕事です。会社と個人の契約における仕事という意味では間違いありません。
私がここで言いたい「仕事」とは、この仕事のことではなく、「お客様からお金がいただける仕事」のことです。

我々の仕事の多くは、人月や人日に対して単価を決めお客様からお金がいただくという形態を取っています。つまり、人工(にんく)仕事です。その意味では、プロジェクトの作業実績として捉えた時間は仕事といえますが、私が言いたい仕事はこうしたものでもありません。

究極的な価値を産み出す作業のことです。

製造現場における究極的な価値
製造現場のものづくりでは、加工・運搬・停滞(物が置かれている状態)・検査の4つで構成されています。この中で究極的な価値は加工だけと言われています。

運搬という作業だけを集めてお金がもらえるでしょうか。(運搬でお金がもらえるのは運送屋さん)

停滞だけを集めてお金を払うでしょうか。(停滞でお金がもらえるのは倉庫屋さん)

検査だけしてお金がもらえるでしょうか。(検査だけでお金がもらえるのは検査機関)

加工という仕事でも、プレス機が鉄板をプレスする場面を想像してください。スイッチを入れると金型が上から下にセットされた鉄板に向かって降りてきます。鉄板に接触し押し切ります。

この時、最初金型は空気を押し、鉄板に接触してから押し切るまでのみが価値を付けます。したがって、空気を押している時間はムダとなります。

我々の仕事における究極的な価値
こうした考えを我々の仕事に当てはめてみて欲しいのです。

○開発者の場合
プログラムを書いている時間は付加価値です。しかし、テストをしている時間は究極的には価値ではありません。だって、もし絶対バグを埋め出さないプログラミングができる人がいたら、その人はテストなどする必要がないからです。ロジックを考えている時間はどう考えたらいいでしょうか。もし、設計書に従って何も考えずにプログラミングできたと考えてください。そうだとするとこの作業も究極的なムダかもしれません。

○プログラム仕様書を作成する場合
プログラム仕様書は「なぜ書くのか」と考えたことはありますか。

・お客様との契約で作成することになっているから・・・

・開発者に仕様を伝えるため・・・

・保守するときに必要だから・・・・

全く不要と言わないまでも記載内容ごとに改めて「なぜ書くのか」一度は問うてみるべきではないでしょうか。

この仕事の価値は、このプログラムの仕様決めることドキュメント化する時間ではないでしょうか。ここでいうプログラムの仕様とは簡単にいえばIPOですが、IPOであれば前工程で決めてなければなりません。そうであるとすればここで決める仕様とは何でしょうか。

こうした究極的な価値の追求する目こそが、自分の働き方を見直する上で私は重要だと考えます。

究極的な価値のみにすることは不可能です。究極的な価値を産み出す作業は1割にも満たないかもしれません。しかし、こうした目線を持つことで自分の仕事の付加価値を常に高めることが可能なります。

皆さんには、こうした目線で常に仕事のやり方を当たり前と思わずに、改善し続けて欲しいのです。
結果的には付加価値の高い仕事というより付加価値密度の高仕事ができるようになります。
その意味でも、自分の仕事の日常に常に「なぜ?」を自問自答してください。

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