昨日、お送りした例の 生きるとは[死ぬこと]なり について補足しておきます。
皆さんは日々生きている中で、「死」を意識されたことはありますか。
私は何回もありました。
初めて意識したのは高校生の時です。近所のおじさんがなくなり、親が不在だったため、隣組の皆さんといっしょにお焼香に行ったときです。
その次は、30歳ぐらいの時に叔母が亡くなり葬儀に参加したときです。
さらには、神戸の震災の翌年に母がなくなったときです。
また、自分のことで言えば心不全や脳梗塞で入院したときです。
仏教では人がこの世に生れ、人生を生きるときに思うようにならないことが8つあると言われています
言葉だけは聞いたことがあるかもしれませんが「四苦八苦」というのがその教えです。
最初の4つが「生老病死」です。生まれること。老いること。病になること。死ぬことの4つです。この4つは生き物としての4つです。これらは自分の意志ではどうにもなりません。
更に4つあります。
愛別離苦(あいべつりく) 愛する人とも必ず別れが来ること
怨憎会苦(おんぞうえく) 憎しみを覚えるような人とも出会うことがあること
求不得苦(ぐふとっく) 欲しいものが手に入らないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) 自分の心も体すら思うようにならないこと
この4つは人として生きる時に、必ず訪れる「思うようにならない」ことだとの教えです。
これだけ読むと人生とはなんとつまらないものだと思われるかもしれません
この教えは、四苦八苦を受入れた生き方を考えることが大切だと教えています。
「細く長く生きるのか」、「太く短く生きるのか」ということを聞いたことのある方は多いかと思いますが、あなたはどちらを選びますか。
しかし、この質問には矛盾があります。「生きる(いつ死ぬか)」ことは思うようにならないことなのですから、「長く生きる」「短く生きる」は自分の意志ではどうしようもありません。
そうすると残るのは「細く生きるか」「太く生きるか」です。こうなると質問の回答は変わってくるのではないでしょうか。
私の選択は「太く生きる」という生き方でした。
太く生きるとは何かを考えてみました。
私なりに定義すれば、「自己実現に向けて自分の心身を使い、汗と知恵を出しながらしっかり一歩一歩生きること」ではないかと考えました。
いつまで頑張るのかと言えば、自分の命が尽きるまでです
いつ「尽きるのか」わからなのが命です。極論を言えば明日尽きるかもしれません。
すると、頑張るのは今日しかありません。
つまり、今日一日が自分の一生かもしれないと考え、悔いなく生きること「一日一生(きょう一日が自分の人生)」が大切だとの考えに至りました。
ゆえに、生きるとはと問われれば、「自分の人生の終わり(死)がいつ来てもいいように悔いなく生き抜くこと」という意味で「死ぬこと」の考えに至ったわけです。
また、人生を送る上でもう1つ大切なことがあります。
「無常無我(むじょうむが)」です。
無常とは常に変化し続ける万物(人)。いま偶然出会った。これは同じ時代に生まれ、同じ場所に存在し、更には縁あって人間関係ができた。そうした人との奇跡的な出会いに「ありがとう」と感謝すること
無我とは万物(人)はそれ1つ(ひとり)だけでは、存在し得ない。周りの多くの人や物のお蔭で存在しうる。こうした万物(見えている人にも、見えていない人にも)、「おかげさま」と感謝すること
この2つの感謝の気持ちで、命が尽きるまで生き抜くこと。
これはこの世に「(偶然)生まれた」人としての生きるということだとの考えに至った次第です。