人生は「只今」だと書きました。
日々の一歩一歩が大切だと書きました。
この一歩の方向が「夢」や「目標」です。

「夢」は人生の中で達成するための原動力です。
「こうありたい」と「こうしたい」といった思いで、その人にとってはワクワクするようなものです。これはその人にとって生きるモチベーションにもつながるものです。
私にとって夢は「叶う方が幸せなのか」、「叶わない方が幸せなのか」と問われれば、死ぬまで夢を持ち続けたいと考えているため、必ずしも夢は叶わなくてもいいとも言えます。しかし、夢にはとにかく近づきたいものだと思います。
私が社会人になったころ持った夢は、日本の繁栄のためには製造業の活躍が不可欠だと考え、「IT技術を生かして加工国日本の基幹産業の製造業の皆さんに頼られる仕事をしたい」というものでした。この夢を目指すことは、自分のライフワークとする仕事を見つけることにもなると考えました。
また、「コンサルタント」の名刺で活動し始めていた時期でもあるため、「如何にしたらお客様(製造業)に頼られる存在になりたい」と強く思いました。その背景には、当時のIT企業はホストコンピュータメーカの下請け的な立場でもあったため、当時の管理者や技術者(SE)は仕事の元請けでもある会社の指示に従っての行動が当たり前でした。しかし、私はお客様目線に立っていない、元請け企業の人たちに従っての仕事に矛盾を感じ、ひたすらその人達の上に立ちたいと考えた結果の答えが、「お客様に頼られる」でした。そのため、この夢は自分の人生の大きなエネルギーになりました。

「夢」とはと聞かれれば、「原動力」と答えます。

これに対して「目標」は、この夢に近づくため階段であり、夢への山道です。「目標」は、達成しないと意味がありません。
夢の実現に向けたステップ・バイ・ステップの計画が「目標」だと考えています。
例えば、私が30際くらいのときに考えた人生プランは
20代は畑を耕し(なんでもトライ。雑用にも意味がある。基礎体力を付ける。夢を描く)
30代には種を蒔き(人生の方向性を決め、その方向性に向かっての各ステップの目標を決め、行動する)
40代はその種を育て(巻いた種を育て。幅を広げ。知見を深め。人間性を磨く)
50代に実をならせ(40代までの努力が徐々に実り始め影響力を持つ)
60代には収穫する。(次の種を蒔き育てる(次世代育成など)を念頭に葛藤中)
でした。
この目標は焦ることなくじっくり人生に取り組むための戒め的な目標でした。
しかし、60代を迎えたいま更に思うのは次なる夢を描き、次なる目標を立てることも必要だと考えています。いまの仕事の栄町かもしれませんし、全く別かもしれません。
ただ1つ言えるのは、どんな道を進むにしてもいままでの経験は決してムダにはならない大きな財産だと・・・。

若い頃に立てた「戒め的」目標とは別に、実際の行動としては
一生一事業(少なくても1つを極める)
一年一目標(そのために毎年の目標を持って進む)
一日一改善(目標実現のためには、日々の改善が不可欠です。昨日よりより良いやり方を・・・)
を指針にしました。
一日一改善は気づいたことを放置せず。とにかく見直す。より良くする行動です。1ミリ。1秒。一歩を改善し続けることで、1年1年積み上がっていくと大きな変化が必ず起きるのです。

「目標」とは「一里塚」なり。
そして、「目標達成」とは「山登り」なりだと考えます

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